Gropiusstadt, 一度行った場所の近くが当たるのはいつものこと。今回も前々回に訪れた場所の近く。そして元国境付近で、特別何があるわけでもないのは分かってたけど、とにかくこの日はカラッとした秋晴れで、どこでもいいから散歩にでかけたい気分。なので楽しみに出かける。
降り立った駅の側でフリーマーケットをやっていたので覗いてみる。
懐かしい。状態が良かったので購入。
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なんていうか、パンチの効いた人が多く・・・
でもこのおばさんみたいなスタイルの若者は、街中でいっぱい見かけるよね。こっちが本当の意味で元祖だと思うけど。
グロピウス・シュタット。グロピウスといえばバウハウスの創立者ヴァルター・グロピウス。元はといえば、戦後この地区一帯に、彼の設計による集合住宅が構想されてたんだけど、1950年代のベルリンは東西が完全に分かれる前の微妙な時代。まだ住民が東西を行き来できる状態だったので、ベルリン以外の東ドイツ国民もベルリン経由で西へ逃亡することが多くなり、とうとう61年に国民流出を防ぐため、東側が西ベルリンを囲むように壁を作った。これが西ベルリン=陸の孤島といわれる所以なんだけど、それだけでなく、壁のせいで西ベルリンの土地に制限ができてしまった。
ちょうど壁が出来た頃に構想されてたこの集合住宅は、国境付近だったこともあり設計プランの変更を余儀なくされ、しかも市が5000戸以上の住宅を増やすことに決めたので、最初は全ての建物が高くても5階までの計画だったのに、上へと増設することになったらしい。設計したヴァルターはこの変更プランに最後まで反対してたけど彼自身69年に死去。
その後、この地区の名を彼にちなんでグロピウスと名付けたとのことだけど、どうなんだろう・・・彼の構想とは全く別のものになってるし、もし彼が生きてたら自分の名前がこの住宅街につくことは反対したんじゃないかな〜。
もう一つグロピウス・シュタットは、12歳にして麻薬に手をだし14歳で売春婦になったクリスチーネ・Fという女の子の実話録が映画になり、彼女がこの地区で育ったということで一躍、グロピウス・シュタット=ジャンキーの街というイメージが定着したらしい。実際そういう環境があったんだろうし、80年代はこの地区の90%が社会保障住宅となり、麻薬や犯罪、なにかと問題の起こる地域だったみたい。
今はだいぶ環境が良くなったとはいえ、やっぱり名残りはある。そういえば、地図でグロピウス・シュタットの名前を一番最初に見た時、ここにバウハウス・スタイルの集合住宅でもあるのかな〜と思った記憶がある。この名前と現実のギャップ!グロピウスも、まさか自分の構想した集合住宅がそういう運命を辿ってるとは、思いもよらないよね・・・。
この道は旧東側、元壁のすぐ近く。ってことは、昔は誰もここを散歩することができなかったはず。
バーバパパの顔を描きたくなるような、ま〜るく刈り込まれた植木。
その向かい側の家の垣根も綺麗にそろえられてる。競ってるのかな?
天気の良い日に散歩でもと思って敢えてこういう場所を選ぶことはないだろうし、これが”げつよう散歩”の凄みかな。
フリマで買った旧東ドイツの掛時計と子供用お皿にカメラ。フィルムをどこかで購入して、いつかこれで散歩の写真を撮ってみようっと。