2016/12/11

番外編:New York 2

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Harlem - Hamilton Heights, 二度目のニューヨーク行き当たりばったり散歩。今回はポケットサイズのマンハッタン地図を買って、そこから数値を割り出す。行き先はハーレム地区のハミルトン・ハイツ。ふふふ、前回訪れたのもハーレムで今回はそのちょっと北。まさかニューヨークでも以前訪れた近くを当てる法則が効いてるとは!

 

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この日はすごぶる晴天。でも風が強く寒かった。 

 

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ハーレム=危険ってイメージが浮かぶけど(この考え古いかな?)、ハーレムといっても広い。特にここらへんはシュガーヒルと呼ばれる高級住宅街もあって、趣のある建物が多い。

 

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この際立つロマネスク様式のお屋敷は、バーナム・アンド・ベイリー・サーカス団のジェームズ・ベイリーの家として建てられたものらしい。そのあと何度か持ち主が変わったんだけど、一番印象的なのは何番目かの家主マーシャルさん。彼女が10代の頃、この前を通る度に”いつかここに住みたい!”と思っていたので、ある日直接家を訪れ、売りだす時は声をかけて欲しいと希望を告げに行ったってこと。直接住んでいる人に訊くって勇気あるし、実際家主になったのもすごい。

 

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この散歩の醍醐味で、気になった建物を調べると芋づる式に色んな歴史に触れられて楽しい。2度美味しいお鍋みたい (笑)。

そして調べれば調べるほどかなりマニアックなサイトに出会い、世の中色んな人がいるんだなぁと感心させられる。これが3つ目の面白さかな。

 

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映画『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 』の家!

前回の散歩で、つい目と鼻の先まで来てたんだけど、このお屋敷がここにあるとは知らなく見逃してた場所。

 

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好きな映画の舞台を直接見るのって感慨・・・(涙) 

 

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散歩がこの区域だと決まった時、真っ先に浮かんだのがココ!もうこの家を見た時点で、かなり満足。

 

 

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お腹が空いたので近くにあるパイ屋さんへ。

 

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店内で食べるスペースはなかったので、小さなパンプキンパイを買って外で頬張る。素朴な味で美味しかった。

 

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RKO Hamilton Theater, 1913年劇場として始まり、映画配給会社RKOになって、そのあとも様々な用途に移り変わっていき、最終的に手前の建物は店舗として、舞台の部分はアルコール飲料の倉庫として使われたのが最後らしい。そして現在は両方とも借り手を待っている巨大空きスペース。

表通りに面したシャッターの一箇所だけ半開きになってたので、ガラス越しに空っぽの空間を観察。それで何気なくドアの取っ手を押したら”カチッ”って開いたのよね、これが。

 

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Hello?って言いながら恐る恐る入ったんだけど、よく見ると明かりも点いてるし誰かいるんだなと思って探す。というか、誰かに出くわすまで中を探索!

 

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2階に上がると当時の面影がある。ここで不動産とお客さんらしき人にばったり。素直に『ドアが開いてたので入ったんですけど、写真撮ってもいいですか?』と訊いたら、今直ぐ出てけとも言われず、さほど興味も持たれず、彼らは彼らの行動を始めたので私達も成り行きまかせで写真を撮る。

 

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ここはロビーだった部分で、肝心の舞台は隣りのコンクリート建物内にある。

 

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残念ながらそっちの建物には入れなかったけど、劇場写真を見ると圧巻!!しかも今は廃墟になってるから、剥げかかった天井や廃墟独特の朽ちかけた美しさが更に魅了する。外から見るとなんてことないコンクリート・ブロックなのに、あんなにゴージャスな劇場が中にあるなんて!なんていうか、ほこりかぶった宝箱が道ばたにむき出しである感じ。使われないなんてもったいない!

 

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この外壁だけ有形文化財に登録されてるらしいんだけど、保存する気があるのなら劇場の内装も保護して欲しかったな。こういう大きい建物は、修復も税金も相当な額になるだろうし、しかも文化財として登録されていると改築に制限があったりで、手をだしづらい。だからもう借り手が見つからずこのまま朽ちていくだけなんじゃないかと書いている記事もあった。でもこの界隈のジェントリフィケーションが進んでいったら少なくとも手前の建物は、例えばWhole Foodsみたいなビオ系のチェーン店が入るとか、上に高級アパートメントを増築したり〜っていうのがありそうよね。でもそうなって欲しいのか、朽ちていくよりはマシと思うのか、どこの街でも似た様な問題があって画期的な解決例は少ない。本当はまた文化施設に戻れるのが一番理想的なんだろうけど、それが一番非現実でもある。悲しいし難しい。

 

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見学してた人。何関係の人だろう?

 

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そろそろ体が冷えきってお腹も空いたので、近くのアジア系ヌードルThe Handpulled Noodleというお店に。

 

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 陰りはじめた日差しが壁にうっすら映えて、ちょっとウォン・カーウァイの映画みたい。

 

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 無骨で分厚い麺だけどモチモチ、辛いスープと相まって冷えきった体には完璧。すごく美味しかった。

 

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ハドソン川沿いの公園へとむかう。

 

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風が吹きさらしでめちゃくちゃ寒かったけど、マンハッタンの南西までくっきり見えて綺麗だった。

 

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前回の散歩でも訪れた一角。

 

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以前は真夏で、この中央分離帯のベンチでおじさん達がくつろいでた

 

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俄然気に入ったハミルトン・ハイツ。たぶん、まだ小売店が多く地元感というか、下町っぽさが残ってるのが心地良かったんだと思う。アパートを買うお金があったら(言う分にはタダだからね)この地区に一室購入したいぐらい。ツーリストとして訪れるのと住むのは違うだろうけど、ニューヨークはやっぱりニューヨーク。魅力ある街だなぁ〜と、飽きずに思う場所です。

 

 

2016/10/06

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Gropiusstadt, 一度行った場所の近くが当たるのはいつものこと。今回も前々回に訪れた場所の近く。そして元国境付近で、特別何があるわけでもないのは分かってたけど、とにかくこの日はカラッとした秋晴れで、どこでもいいから散歩にでかけたい気分。なので楽しみに出かける。

 

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降り立った駅の側でフリーマーケットをやっていたので覗いてみる。

 

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懐かしい。状態が良かったので購入。

 

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なんていうか、パンチの効いた人が多く・・・ 

 

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でもこのおばさんみたいなスタイルの若者は、街中でいっぱい見かけるよね。こっちが本当の意味で元祖だと思うけど。

  

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グロピウス・シュタット。グロピウスといえばバウハウスの創立者ヴァルター・グロピウス。元はといえば、戦後この地区一帯に、彼の設計による集合住宅が構想されてたんだけど、1950年代のベルリンは東西が完全に分かれる前の微妙な時代。まだ住民が東西を行き来できる状態だったので、ベルリン以外の東ドイツ国民もベルリン経由で西へ逃亡することが多くなり、とうとう61年に国民流出を防ぐため、東側が西ベルリンを囲むように壁を作った。これが西ベルリン=陸の孤島といわれる所以なんだけど、それだけでなく、壁のせいで西ベルリンの土地に制限ができてしまった。

 

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ちょうど壁が出来た頃に構想されてたこの集合住宅は、国境付近だったこともあり設計プランの変更を余儀なくされ、しかも市が5000戸以上の住宅を増やすことに決めたので、最初は全ての建物が高くても5階までの計画だったのに、上へと増設することになったらしい。設計したヴァルターはこの変更プランに最後まで反対してたけど彼自身69年に死去。

その後、この地区の名を彼にちなんでグロピウスと名付けたとのことだけど、どうなんだろう・・・彼の構想とは全く別のものになってるし、もし彼が生きてたら自分の名前がこの住宅街につくことは反対したんじゃないかな〜。

 

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もう一つグロピウス・シュタットは、12歳にして麻薬に手をだし14歳で売春婦になったクリスチーネ・Fという女の子の実話録が映画になり、彼女がこの地区で育ったということで一躍、グロピウス・シュタット=ジャンキーの街というイメージが定着したらしい。実際そういう環境があったんだろうし、80年代はこの地区の90%が社会保障住宅となり、麻薬や犯罪、なにかと問題の起こる地域だったみたい。

 

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今はだいぶ環境が良くなったとはいえ、やっぱり名残りはある。そういえば、地図でグロピウス・シュタットの名前を一番最初に見た時、ここにバウハウス・スタイルの集合住宅でもあるのかな〜と思った記憶がある。この名前と現実のギャップ!グロピウスも、まさか自分の構想した集合住宅がそういう運命を辿ってるとは、思いもよらないよね・・・。

 

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この道は旧東側、元壁のすぐ近く。ってことは、昔は誰もここを散歩することができなかったはず。

 

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バーバパパの顔を描きたくなるような、ま〜るく刈り込まれた植木。

 

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その向かい側の家の垣根も綺麗にそろえられてる。競ってるのかな?

 

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天気の良い日に散歩でもと思って敢えてこういう場所を選ぶことはないだろうし、これが”げつよう散歩”の凄みかな。

 

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フリマで買った旧東ドイツの掛時計と子供用お皿にカメラ。フィルムをどこかで購入して、いつかこれで散歩の写真を撮ってみようっと。