Weissensee, 何か磁気なり引き寄せるものがあるのだろうか?ここ何回か立て続けに、以前行った所の斜め上なり真横なり、今回も一番最初に行ったF20の真下。しかもその区域は集中して3カ所目。Gにいたっては4度目!30 x 23で690ものブロックがあるのに、どうしてこうも同じ区域ばかり当たるんだろうか?
でもこれが運なんだから仕方がない。けど不思議・・・。
Der Jüdische Friedhof Weissensee, ヨーロッパ最大のユダヤ人墓地。1880年に設立され激動の時代を駆け抜け現存している。一番最初に思うのは、ナチスによって多くのユダヤ人墓地が破壊されてるのに、何故ここは壊されなかったのか?ってこと。調べていくうちに、この墓地についてのドキュメンタリー映画に辿り着く。その中で当時のことを知っている人が、噂によるとナチスがこの墓地にはゴーレムがいるという迷信を信じ手をださなかったとかなんとか・・・。話としては面白いけど、ナチスにそんな可愛げがあるとは思えない。別の人は、戦争がもっと長引いていたら分からなかったけどここを壊すまで手が廻らなかったのでは?とのこと。こっちの方が説得力ある。
男性訪問者のみ帽子を持参してない場合は、写真の後方にいる男性のように入口でこの帽子を借りて被らないといけない。帽子持参しててよかった~とフィリップは言ってたけど、ちょっと被ったところを見たかった気もする。
日本と違って墓地は公園のように散歩するところ。私達もこの行き当たりばったりの散歩で幾つかの墓地を訪れている。でもここはとにかく広くて、後で地図を見たら敷地の半分も歩いてなかったみたい。
街中で気になる建物、特に手つかずになっている小ぶりの元工場や工房などを見ると、二人の間で『もしもここに住めるなら住む?』と想像するのがお決まりになっている。で、ここはというと、建物は修復したら面白くなりそうだけど立地があんまり良くなかったかな?って、言う分にはタダだからね。私達の地味で暗い、でも楽しい趣味の一つ。
F20の散歩でこのアイス屋さんを訪れたなぁ。げつよう散歩を始めて一年経ちました。感慨深い。
話はユダヤ人墓地に戻り、ドキュメンタリーの中で、設立当時からいづれは墓地を横断する道路計画があるのは承知してたので、その部分は最初から墓碑を建てずにおいてたんだけど、激動な時代のせいか道路が建設されることはなく、でも70年代にまた話が浮上した際に当時の東ドイツ首相ホーネッカーが、歴代の統治者達が建設しなかったんだから私達が造る必要はないといってそのプラン自体を破棄したらしい。お見事!だから森のように広大な墓地が残っているのね。
それで思い出したのは、友達が私達のこの散歩を考慮してクリスマスにくれた1946年のベルリン地図。ふと思い出してそれを見たら、墓地の中を点線で道が横断してた!ドキュメンタリー映画は墓地のことを更に興味深くしてくれたし、友達の気の利いたプレゼントにも感謝!